【第21回】ヨガスートラ第3章53節から最終節までと禅の言葉

Namaste, Japan!!

大分更新に期間が空いてしまいました。ごめんなさい。前回の続きになりますね。

〔救い者(taraka)と呼ばれる知〕

【ヨーガ・スートラ 第3章53節】
刹那(ksana)と、〔その刹那に〕続いて起こる刹那との両者に対して、特別の集中的修行を行うならば、それに基づいて、弁別(viveka)から生ずる知(jinana)が現れる。

上記に、知=jinanaと記載がありますが、よくJnana Yoga(ギャーナ・ヨガ=智慧のヨーガ)を実行されたとされる、インドではSwami Vivakananda(スワミ・ヴェヴェーカナンダ)ヨーガ指導者が、有名です。ヴィヴィディシャーナンダ!サッチダーナンダ!お前は何者なんだ!?と覚えておきましょう。(笑)

続きまして、

【ヨーガ・スートラ 第3章54節】
種類(jati)と特質(laksana)と場所(desa)とによっては、別のものとしては断定・特定されてないということ(anyatanavaccheda)に基づいて、そのような等しい(tulya)二つのものについては、それによって認識(pratipatti :理解)する。

【ヨーガ・スートラ 第3章55節】
この弁別(viveka)から生じた知は、救い者(taraka)であり、すべてのものを対象とし(sarva-visaya)、あらゆるあり方で対象となし(sarvatha-visaya)、一時に起こるもの(akrama)である。

〔独存の構造〕
【ヨーガ・スートラ 第3章56節】
統覚機能(buddhi:ブッディ)の純質とプルシャとの清浄さが均しくなった(suddhi-samya)時に、独存(kaivalya:カイバルヤ)が現れる。

そもそも、独存って何?調べてみると、単独で存在すること。仏教用語から元来生じていて、純粋精神が物質的なものから完全に独立すること、と意味していますね。

さて、以上のように、ヨーガは、純粋精神(purusha:プルシャ)と心との区別を理解するために、独存の構造は、必要なものであるとされています。その知を得るための前段階として、閃きの直観(pratibha)は、ヨーガによって得られるからである。

と同時に、ヨーガは健康と美を追求するための手段でもあり、特に神秘的超自然的能力(siddhi, rddhi, bhuti, vibhuti, aisvarya)の5つを達成するための手段にもなり得るのです。また、ヨーガの修行を完成した人々は、もはや諸感官とそれぞれの対象との対応関係を超越して、『諸感官をもって見ず。嗅覚によって声を聞き、背をもって色を視、また指端をもって一切の対象を知覚する。』という状態になるそうです。

ここからは、禅の言葉(=心が楽になる)から、記述して行きたいと思います。

禅とは仏教の一派で、達磨大師が初祖となって生まれたのが、禅宗です。禅宗もさらに複数あり、坐禅などの修行を積み重ねて、自分の中にある仏性(仏の性質=ブッダダートゥbuddhadhtu)と、向き合うことになります。仏性の言葉も、実はサンスクリット語から来ているのですね。

山は是山、水は是水(やまはこれやま、みずはこれみず)
意味=山は山として、水は水として、その本分を全うしているのである。

無理矢理に自分を飾り立てる必要は全くありません。ありのままの自分の姿を信じられず『少しでも背伸びしたい』『他人からよく見られたい』と思うからでしょうか、ブランド品や流行の服の価値を自分の価値観と一致していると流されて、身にまとうことは必要なことでしょうか。

大自然の姿を思い描いてみてください。山は山。海や川の水は水。だからこそ美しく、調和が取れているのです。私たちも同じで、それぞれの個性を生かしていけば、良いパートナーに恵まれ、社会全体もうまく循環していくのです。人は、無理に本分を曲げず「自分は自分らしく」を全うしていくことが大切なのです。
ありのままの~、姿見せるのよ~。ありのままの~、自分になるの~ (Let it Go~ありのままで~)が、大ヒットした理由は禅の言葉やヨーガに繋がる要素を持っていたからとも考えられます(笑)

ということで、本日の講義はここまで!

ちなみに、World Yoga Communityにご興味ある方、ぜひ下記のリンク先をご訪問ください。

https://www.facebook.com/groups/235426709956668/?multi_permalinks=940046089494723&notif_id=1518251420369569&notif_t=group_activity&ref=notif

では、また。

Love&Peace,

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